私が公の仕事について意識をもった原点は、建築家としてのアメリカにおける修行時代にあります。ここで触れ合った各国の若者たちが自国についてとても多くの知識を持ち、誇りをもって語る姿を目の当たりにして、何も知らずに生まれ故郷の千葉の田舎町を飛び出した自分が、とても小さく恥ずかしく感じられました。飛び出した先に広がっていたのは「母国と郷土、地域を愛する心」がなければ、国際人として信用されないという現実だったのです。
帰国後、私は妻の実家がある北区に建築デザイン事務所を起業いたしました。以来17年余り、文字通りゼロからのスタートでしたが、仕事仲間はもちろん地域の方たちのあたたかい支えにより、少しずつ軌道に乗せてくることができました。この間、「公の立場からお世話になった地域の方たちの思いをかたちにしていきたい。行政に反映させたい。」という気持ちは、仕事のかたわら続けた青年会議所や茶道裏千家淡交会での活動などを通じて、私の心の中でより一層強くなっていったのです。
私は長年、高木けい都議の後援会幹事長として、人々の生活そのものである地方政治の一端を垣間見てまいりました。そして日々の暮らしをより豊かにしていくために、現役職業人としての経験や感覚、建築家としての技能は必ず活かせるものと確信しています。
「間違うことではなく、無関心や行動しないことが罪なのだ。」
「迷ったら、行動する。」
私は十代の頃、異国の安アパートの一室で噛みしめた思いを大切にして、人生の先輩たちの地域に対する愛情が支えてきた「まちづくり」を若い世代の皆さんにつないでいくことに、これからも全力で邁進してまいります。
46才、「まちづくりの即戦力」椿くにじ 頑張ります!!